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時計台と文学・音楽 Literature and music of the Clock Tower

目次
  1. 時計台と文学
  2. 時計台と音楽

時計台と文学

札幌農学校19期生であり農学校教師でもあった有島武郎の『星座』をはじめ、多くの作家、詩人たちが作品の中で時計台についてふれています。そのいくつかを抜粋で紹介します。

有島武郎『星座』(1922年(大正11年)出版)…農学校の青春群像を描いた小説。

  • 有島武郎

    有島武郎

  • 星座

    「星座」

  • 星座 文章

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「札幌に来てから(主人公の)園の心をひきつけるものとてはそう沢山はなかった。唯この鐘の音には心から牽きつけられた。寺に生まれて寺に育った故なのか、梵鐘の音を園は好んで聞いた。・・・鐘に慣れたその耳にも演武場の鐘の音は美しいものだった。殊に冬、真昼間でも夕暮れのように天地が暗み亙(わた)って、吹きまく吹雪の外には何の物音もしないような時、風に揉みちぎられながら澄み切って響いて来るその音を聞くと、園の心は涼しくひき締った。而して熱いものを眼の中に感ずることさえあった」
(『星座』にはさらに、主人公が時計塔をのぼり機械室に入っていく場面、午前11時の鐘の音を聞き自分の将来への決意を固める場面なども描かれています。有島ファン、時計台ファンにとって必読の作品です)

注.写真は北海道大学附属図書館所蔵

森田たま『随筆ゆく道』(1946(昭和21)年発行)…札幌南1条東4丁目生まれの作家。

  • 随筆ゆく道

    「随筆ゆく道」

  • 随筆ゆく道 文章1

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  • 随筆ゆく道 文章2

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「あの鐘の音が、札幌という町の精神です。札幌という町が美しいのは、あの鐘の音が美いからです」
「(激しい吹雪の日に)ひびいてくるあの鐘の音色。―ストーブの前で、じっとその音に耳をすましていると、どこの家でもいまみんながおなじように、耳を傾けているにちがいないと思われ、みんなのぶじな事が、自然に心に伝わってくるのでした。時計台を中心にして、お互に生きている事のわかるような気持ちでした」

児玉花外「時計台の鐘」(1923年(大正12年)11月新聞掲載)…詩人、明治大学校歌作詞。

「・・三人が農学校に通っていた旧い家は道庁近くに残ってあった 職業がちがい、三人はいま別れていても 眼をつむると雪の中に 時計台の鐘がかすかに響いてくる 札幌の街にも 吾等の胸にもなつかしい不滅の音よ」

船山馨『石狩平野』(1967年(昭和42年)出版)…札幌大通公園近くで生まれ育った作家。

  • 石狩平野

    「石狩平野」

  • 石狩平野 文章

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「ふけた夜のなかで創成川の川音が高く、青白い汚斑(しみ)のような蛍の光が闇を舞っていた。・・・豊平館の裏通りから、農学校の前に出た。演武場の時計台が十時半をまわっていた」

石森延男『コタンの口笛』(1957年(昭和32年)出版)…札幌南6条西9丁目生まれ。児童文学作家。

「カーン カーン カーン。 時計台の鐘が鳴りだしました、十一時でした。『先生、いい音ですね、時計台の鐘―。』 『明るくて、いいな』」

和田芳恵『暗い流れ』(1977年(昭和52年)出版)…長万部町出身、北海中学に学ぶ。

「私は大通にある時計台の市立図書館で、受験勉強をしながら、頭が疲れると文学書を借り出しては読んだ。蔵書は少なかったが、秦豊吉の訳で『若きヱルテルの悲み』や、北原白秋の『思ひ出』、志賀直哉の『夜の光』などを読んで感動した」

伊藤整「札幌」(1938年(昭和13年)雑誌掲載か)…札幌時計台での講演会記。

「その日の夜は講演であった。・・会場の時計台というのに入って見たのは始めてである。これが昔の農学校の校舎の一部だったということは、あの素朴な建物に大変特殊なものを感じさせる。色々な過去の人物の呼吸が、古い建物の材木の中に沁みこんでいるようだ。建物のその古めかしく神聖な印象が圧しつけるように漂っている。・・・北海道という土地の開拓につながった夢は、なんか身に近いものとしてなつかしみを抱かせるぐらいの隔たりになって残っているのだ」

小熊秀雄…小樽市生れ、日本近代の代表的な詩人の一人。

「札幌の時計台こそ古びたりされども時は新しきかな」 (1938年(昭和13年))

その他、宇野浩二「北海道遊記」(1950年(昭和25年))、八木義徳『旅の音色』(1952年(昭和27年))、火野葦平『活火山』(1954年(昭和29年)などでの記載があります。
大正時代には島村抱月、有島武郎、三木露風、若山牧水が時計台で講演会を開き市民を感動させています。

上の作品のいくつかを時計台1階に展示しているほか、『星座』『随筆ゆく道』『石狩平野』『コタンの口笛』は1階閲覧室でご覧になれます。

時計台と音楽

  • 高階哲夫

    高階哲夫

  • 時計台の鐘 自筆楽譜 時計台の鐘 歌詞

    「時計台の鐘」自筆楽譜と歌詞
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高階哲夫作詞作曲による名曲『時計台の鐘』は、札幌の街と時計台の存在を全国の人に知らしめました。
高階哲夫は、1896年(明治29年)富山県滑川町(現在滑川市)に生まれ東京音楽学校を卒業後、ヴァイオリン演奏家、作曲家、教育者として日本国中を駆け巡って洋楽の普及に努めるとともに、児童楽劇、トーキー導入期の映画音楽、放送管弦楽団の育成を行うなど現代の音楽芸術の基礎づくりに大きな功績を残した音楽家です。
『時計台の鐘』は、1923年(大正12年)高階哲夫が27歳の時に作詞作曲しました。この年の7月、高階は札幌出身のアルト歌手の妻ます子と共に札幌で演奏会を開きました。しかし予期に反し新聞紙上で厳しい評が掲載されました。気落ちした高階を豊平館の支配人が札幌の街や郊外へと連れ出して励ましました。人々の暖かい気持ちと心を癒す風景に触れ、気を取り直して東京に戻った高階が、その時受けた印象をまとめて生まれたのが、『時計台の鐘』でした。
時計台1階には、高階哲夫の遺族の方から寄贈されたヴァイオリン、自筆の楽譜、テスト盤レコード、「ヴァイオリン奏法の秘訣」原稿など貴重な品々が展示されています。

 北原白秋作詞、山田耕筰作曲による名曲『この道』にも時計台が登場します。北原白秋は1925年(大正14年)の夏、友人とともに樺太、北海道を旅行し札幌を訪れました。その時の印象と白秋の故郷福岡柳川、母の生家熊本南関での思い出などが一体となって生まれた作品と言われており、札幌の街のエキゾチックな雰囲気と母親への慕情が強く感じられる歌詞となっています。

その他、「市民の歌」、冬季札幌オリンピックのテーマ曲「世界の友よ札幌で逢いましょう」などの歌唱や、石原裕次郎「恋の町札幌」など多くの流行歌、ポピュラーソングでも、時計台が北の街札幌のイメージとして歌いこまれています。
これらの歌のドーナツ盤レコードジャケットと歌詞を1階展示室でご覧いただけます。